第1章 これだけはまず頭に入れておいてください|とりたい脂肪がすっきり(共立美容外科医師グループ著)
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第1章 これだけはまず頭に入れておいてください

一般医療も美容外科も基本姿勢は同じ

「あなたにとって、よいドクターとは、どういうドクターですか」
こんな質問を向けられたら、あなたならなんとお答えになりますか。
一般医療の場合なら、的確な診断を下し、確実に病気を治してくれるドクターが、よいドクターだということになります。美容外科の場合はどうでしょう。
「うまく、私の理想をかなえてくれる先生」
まあ、そんあところだと思います。
そこにまず、一般医療のドクターと、私たち美容外科のドクターとの根本ていな違いがあるといえます。
つまり、一般医療では、ドクターが「手術は大成功だった」と思えば、それが即、患者さんの幸せになるわけです。
ところが、美容外科の場合は、私たちが「よくできた」と思っても、その結果に患者さんが満足しなければどんなに私たちが満足しようと、その手術は失敗といわねばならないのです。

「先生、本当にありがとうございました。こんなに美しい顔にしていただいて、大満足です」

という患者さんの言葉があって、初めてその手術は成功したということになるのです。
ですから、私たちの場合は、なによりもまず患者さんが満足する手術をすること、それが「よいドクター」としての条件ということになります。
ですが、ちょっと待ってください。それだけでは決して「よいドクター」とは言えないのです。
二重まぶたの手術を例にしましょうか。幅もラインの形もまったくあなたの理想にかなった二重ができたとしましょう。
あなたはドクターに感謝し、天にも上る思いで鏡をみながら、
「すてき!!この先生は本当にいい先生だわ」
と心の内で叫びます。
しかし、ちょっと待ってほしいのです。
「いい先生」と呼ぶのは、まだ早いのです。
もし、あなたが気に入った二重が、一年半もしないうちに消えて、もとの一重に戻ってしまったら、どうしますか。
「そんなこと、ありえない」
ところが、あり得るのです。しかも、しばしば起こるのです。ではなぜ、そんなことが起こるのでしょう。理由は単純明快。

「早く」仕上げるから、そういうことが起こるのです。

「早さ」を売り物にするドクターが存在するのは、美容外科の世界だけです。一般医療の世界では考えられないことです。
「早さ」を売り物にするドクターが存在するのは、美容外科の世界だけです。一般医療の世界では考えられないことです。
なのに、なぜ、美容外科の世界に限って「早さ」が売り物として、堂々とまかり通るのでしょう。
これは、ドクターの側にも、患者さんの側にも「一般医療とは違うんだ」という認識があるからです。しかし、それはあきらかに間違った認識です。
私たちは、一般医療と美容外科というものとを区別して考えてはいません。
前述のとおり、確かに違いはあります。が、注射針やメスを人体に入れる以上、外科医としての基本姿勢にほかの外科との違いがあってあならないのが当然だからです。
三ヶ所縫うべきところを、一箇所しか縫わなければ、手術が早く終わるのは当たり前です。同時に、そんな手術をすれば、もとに戻りやすいのも当たり前なのです。
もし、そんな「やっつけ手術」をほかの外科がやってごらんなさい。たちまち社会問題です。鼻を高くする手術でもそうです。
いくら見た目にきれいに仕上がっても
「スキーに行って誰かとぶつかったとたんに、鼻が曲がってしまった」
なんていうのでは仕方がないでしょう。
手術と名がつく以上、心臓だろうと、隆鼻だろうと、変わりはありません。外科医に対して点から与えられた使命は、患者さんに真の喜びや幸せをもたらす、確実でていねいな手術を施すことに尽きるのです。

ドクターは慎重でなくてはならない

ドクターはまた、常に慎重でなくてはなりません。
世の中は新製品ばやりです。
どこへ言っても、何を見ても、
「限りない魅力を秘めて、新たに登場!!」
とか
「今までにない機能を満載して初登場!!」
などというキャッチフレーズにぶつかります。
そうして次々と新しい商品が世の中に出回っていきます。
ステレオや洗濯機ならそれでいいのです。仮に、その商品に欠陥があるとわかっても、お詫びの広告を出して、回収してまわればそれで済むことなのですから。
ですが、医療の世界では、それは通用しません。薬一つでも、器具一つでも、軽率にトピックス性を狙って使用することは、絶対に許されてはならないことです。
一般医療では、日本の場合、厚生省の認可のないものは、薬でも器具でも、用いるわけにはいきません。もし勝手に用いれば罰せられます。
が、美容外科の場合は、そのへんはわりと緩やかな面があります。これからは誇大宣伝や、あまりにも無責任で非科学的な宣伝に対してもっと厳しくなっていくでしょうが、少なくとも今のところは野放しといった状態です。
欧米の学会で発表されたというだけで、すぐ飛びついて、その技術なり器具なりを導入し、大宣伝するドクターがいます。
学会の発表というのは、あくまで、
「今後の可能性を示唆するもの」
として受け止めねばならないもので、実用に踏み切るには、いろいろな面からの研究、実験の繰り返しが必要とされるのです。
副作用はどうか、他の臓器への影響はどうか、民族固有の特質にどこまで適合しうるのか、などの重大問題が、臨床実験を繰り返すことで初めて解明されていくわけです。
そういった問題が解明されないものは使ってはならないのが当然です。

「ガン」の新薬にしたってそうです。
時折、週刊誌などで、
「新薬誕生」
などとさわがれますが、いまだに特効薬というものは生まれていないでしょう。それは発表されたものがすべて、実験の結果、副作用の面などで「問題あり」という結論がでているからです。

ドクターは正直でなくてはならない

ドクターは正直でなくてはならない存在です。
「では、ガンの患者に”あなたはガンです”と言うのですか」
それは違います。
正直に言わない方が患者さんの幸せになることは、言わないのが人の道というものです。
お釈迦様も「方便」といって、これを許していらっしゃいます。仏様だって、衆生を救う方便としてウソをつくことがある、というわけです。
私たちがここで言っている「ウソ」というのは、患者さんを思うところから発したウソではなく、ドクターのエゴイズムから発するウソのことです。
一般医療に携わるドクターは術後のことを、どちらかといえば、きつめに言うのが常です。
「一週間は絶対安静ですよ」
実は四日もすれば大丈夫なものを、大事を取って一週間というのです。
これも方便といえば、いえなくもありませんが、ドクターのエゴといえば、そうもいえなくはありません。いずれにしても、罪のないものです。

美容外科を訪れる患者さんの二大プロブレムは、「痛み」と「傷跡」です。

私たちはこの二つの問題と、日夜、取り組んでいます。なんとか少しでもゼロに近づけるべく、その努力を惜しみません。
その成果のほどは、この本を最後までお読みになればおわかりいただけると思います。
いうまでもなく、なんでもかんでも完璧にゼロにするのは不可能なことです。しかし、手術の内容や部位によっては、完全にゼロということも可能になってきました。
例えば、「鼻」の手術です。
手術そのものは麻酔が利いているので痛くないのですが、麻酔を打つときの患者さんの苦痛というのは大変なものでした。なにしろ鼻の穴の中に注射を打つのですから。
そこで、私たちは、独自の麻酔法を考案したのです。(これは後の章で詳しくお話します」これによって患者さんは、本当に無痛のうちに手術が受けられるようになりました。
ですから私たちは、正々堂々と、天下に
「まったく痛くなく、傷もまったく残りません」
と公言できます。
脂肪吸引でも、これも後に詳しく申し上げますが、私たちは『KBシース』という、傷跡を最小限にくいとめるものを考案し、用いています。
私たちは、そういった、私たちの努力や技術に対して自信を持っています。
ですから、痛みや傷跡に関して、痛いものは「痛い」、残るものは「残る」と、正直に言うことができます。

「麻酔を使いますので、まったく無痛です」

こういう言葉を無責任に吐くドクターに私たちは本当に腹立たしさを感じます。
鼻の穴に注射針が刺さるのが、無痛なわけがないじゃありませんか。
腹部の脂肪吸引にしてもそうです。

「まったく痛くありません」

と言いながら、局所麻酔で手術を行っているクリニックがあります。お腹にマルチプルに注射針が刺さる苦痛を想像してみてください。

「傷跡は注射針程度のものです」

などと公言してはばからないドクターもいます。
”注射針の傷跡”って見たことがありますか?明らかにこれは、だましです。
要するに、傷跡はまったく残らないと言っているのと同じです。
こういうウソは、方便でもなんでもなく、実に罪深いものです。
痛いものは痛い、傷跡が残るものは残ると、はっきり言えないのは、真剣にそういう問題と取り組んでいない証拠です。

ドクターは労を惜しんではならない

ドクターにもいろいろな人がいます。
夜中に急患で起こされて、あからさまにイヤな顔をする人。嬉々として看護に当たる人。実にさまざまです。まあ、どんあ世界にもいろいろな人がいるのは世の習いですから、これは仕方のないことです。
しかし、医療に携わるものは、労を惜しむことだけは絶対にしてはならないと思います。楽をしたいなら、他の職業を選ぶべきでしょう。
昔は「医は仁術(じんじゅつ)」と言われたものです。
「医術は病人を治療して、人徳を施す術である」
あるいは、

「仁徳を施して、人を救うのが医者の役目である」
というわけです。
私たちの大先輩、特に明治生まれのドクターの方々には、この言葉を自らの戒めとし、自分の役目に誇りと責任をもって医療に従事された方が多いように思います。
そういった先輩方の書かれたものなどを拝読しますと、病気というものがいかに人を不幸にするものか、その不幸の源を駆除するのに、いかに労を惜しまずに立ち向かわれたかということが、ひしひしと伝わってきます。

私たち美容外科のドクターが取り除く病は、いわば心の病です。
自信喪失、劣等感といった病原菌に侵された心の病です。
この菌も他の病原菌と同じように、いや、時にはそれ以上に、人の不幸の道に導くものです。
美容外科の門を叩く方々というのは、みな本当に真剣な気持ちでおいでになります。
そういった患者さんを相手に、私たちドクターが肝に銘じておかねばならないことは、
”一人ひとりが全部違うんだ”
ということです。
医療というものは、すべからく、症例によって変えていかねばならないものです。
そこで労を惜しんではならないのです。
となれば、この世に同じ人間というのはいないのですから、私たちは無限の症例を相手にしていることになります。美容外科に必要なのはその自覚です。
そういう自覚がないと、教科書通りの一定のパターンを患者さんに押し付ける”押し付けドクター”と化してしまうのです。いうまでもないことですが、それでは真剣な気持ちで来院される患者さんの心の病をおんぜつすることは不可能です。

ドクターは労を惜しんではなりません。
私たちがついやす労と、患者さんの幸せとは、常に正比例するものです。

医者と弁護士は命懸けで選ぶもの

小学校二年の子供が急に熱を出し、近所の医院へあわてて駆け込んだ母親の話です。
医院のドクターは診察のあと、
「これはただの風邪です」
と言い、母親に風邪薬を渡したのだそうです。ところが、熱は下がるどころか上がる一方で、子供の様子もおかしいため、心配になった母親は、翌日またその医院へ行ったところ、ドクターの言うことは昨日とまったく同じで、質問をしても取り付く島もない有様だったといいます。
納得のいかない母親は、すっかりぐったりとした子供とタクシーに乗り、急拠、市内の総合病院へ行きました。
そこではじめて、ヴィールスが脳の髄膜を冒す「髄膜炎」であることがわかったというのです。
「もう一日遅れていたら大変なことになっていた」
と言われ、母親は改めて、ゾッとしたといいます。
しかし、こういう話は、巷ではめずらしいことではありません。表沙汰にならないだけで、結構あるのです。

過日、ある新聞の投書欄に、整形美容の手術を受けた三十五歳になる主婦からの投書が掲載されていました。
それは、美容手術を受けようと考えている方々へのアドヴァイスで、主旨は、
「九年前に目の下のたるみをとる手術を受けたところ、ひどく醜い顔になり、手術前のよさがすっかりなくなって絶望している。ばかなことをしたと悔やまれてならない。その悩みのため、今は神経科へ通う毎日である。美容手術を受けたいと思っている方は、よく熟慮し、出来れば断念するようお勧めする」
というものです。
こういう記事をみますと、私たちは残念でなりません。
目の下のたるみをとる手術は、一般的には下まぶたギりギりのところを切って、余分な皮膚を切り、縫い合わせるというものです。多分、この方が受けたのも、その手術だったと思います。
たったそれだけの手術でも、ドクターの技術が稚拙だと、この方のようなことが起こるのです。

「醜い」

という言葉が使われているころから察しますと、その、ドクターが皮膚を切り過ぎたのだと思います。

実はこれもよくあることですが、切り過ぎると下まぶたが引っぱられて、俗に言う「あかんベェー」をしているような顔になってしまうのです。
二重まぶたの手術や鼻の手術は現在では簡単に元に戻せます。が、「皮膚の切り過ぎ」は、どうにもならないのです。
九年間も悩み続けられたうえ、神経科に通っておられるとは、なんとも言葉に窮します。
月並みですが、そのことが忘れられるような、素適なライフ・ワークをみつけて、それに没頭されることを、切に望んでやみません。

「医者と弁護士は命がけで選ペ」

とは、よく言われることですが、まったくその通りです。
選び方を間違えますと、助かる命も落とし、きれいな顔が醜くなったりもするのです。
私たちは患者きんを選ぶことは出来ませんが、皆さんの側には、医者を選ぶ自由があるのです。大いにその自由を活用すペきです。
クりニックを訪ねたら、そのクリニックの雰囲気をよく観察されることです。
ドクターの態度、物腰、しゃペり方などをよく観察して、「うさんくさい顔してるな」とか、「どこか信頼できない感じだな」とか、「言うことがどこか納得出来ないな」と思ったら遠慮なく帰ってくればいいのです。白い自で見られようと、背中から罵声を浴びせられようと、そんなこと、かまわないではありませんか。
一生の不幸を背負うことを考えれば、そのくらいの勇気は出せるはずです。

大切な大切なカウンセリング

美容外科の場合、何が大切かといって、十分なカウンセリングほど大切なものはありません。私たちは、どんな手術を希望される患者さんの場合でも、常に十分なカウンセリングの時間をとっています。
こればかりはいくらとっても、取りすぎということはないのです。
なにしろ患者さんにとっては、自分の身体の一部が、今までの自分と変わるのですから、大変なことです。変わることへの期待と不安が入り交じるのは当然です。
しかも、その大事に身を委ねるのは、今までまったく一面識もなかった、初めて会ったばかりの目の前のドクター、ということになれば、「心配だなァ」と思うのが人情というものです。
「理想通りになるかしら」
「この先生、うまくやってくれるかしら」
そこで大切なのは、理想をどこまで正確に相手、つまりドクターに伝えられるかです。
私たちの側からいえば、いかにそのことを正確にキャッチするかです。
先に、

「いくら私たちが手術の仕上りに満足しても、患者さんの満足が得られなりればその手術は失敗」

という話をしましたが、失敗か成功かの分岐点は、このカウンセリングのやりとりの中にあるのです。
いくら患者さんが事細かに自分の理想を伝えようと、ドクターの側が、
「この手の顔はこうすりゃいいんだ」
と勝手にパターンで捉えて、真剣に耳を貸さないと、手術は失敗に終わります。
また逆に、いくら、ドクターが出来ることt出来ないこととを懇切でいねいに説いても、患者さんが充分にそれを聞き入れないと、話は進みません。
カウンセリングの場では、お互いの真剣な歩み寄りが必要なのです。歩み寄るためには、どんなに時間がかかったっていいのです。

「医者と弁護士は命がけで選ぶもの」
という話をしましたが、もう一つ、医者と弁護士との共通点があります。
それは両者とも、本当のことを言ってもらわないと、本領が発揮出来ないということです。

ドクターには、何でも本心を明かすことが肝心です。ウソや隠し事があれば、お互いが困るのです。

例えば、こんなことがありました。
下腹に脂肪がついた中年の女性が、
「近頃、歩くとヒザが痛いものですから、ヒザの負担を軽くするのにお腹の脂肪をとったらと思うのですが」
と言ってきたのです。
ヒザの痛みというのは、お腹の脂肪をとったくらいで解決するものではありません。しかも放っておくとヒザの骨が変形していく恐れもあります。
そこで私たちは、そのことを伝え、脂肪股引よりヒザの治療をすることを勧めたのです。
ところが、話がどうもおかしいのです。結局、話を進めるうちに、ヒザの痛みというのはまったくのウソで、お腹の脂肪をとってほしいのだが、それをストレートに言うのが恥ずかしいので、ヒザの痛みを理由にしたことがわかったのです。
こういったことは、他の部位の手術でも時折あります。
また、
「何日後にお見合いを控えている」
とか、
「家族に知られては困る」
などという特別な事情があるときは、それも正直に言うことです。
そういうことが前提なら、出来ない手術もあるからです。

遠慮なく、納得いくまで質問すること

今までの話でおわかりのように、カワンセリングて大切なのは、ご自分の希望をはっきりとドクターに伝えることと同時に、納得のいくまで、ドクターと話し合うことです。
ドクターと患者さんとの関係というのは、一般的に、病気を治す者と治してもらう者という位置関係にあります。
従って、どうしても患者さんの方が遠慮しがちになるものです。

「こんなこと聞いたら失礼かしら」

という遠慮が生まれて、

「まあいいわ、先生にまかせましょう」

ということになるのです。
もっとも、もともとドクターというのは、患者さんにそういった雰囲気を与えがちな面があることも事実です。
一般医療の場合なら、
「まあいいや、まかせましょう」で
もいいかもしれません。
が、美容外科の場合は、とことん納得がいくまで質問すべきです。
自分の「美」への希望をかなえるために手術を受けるのですから、絶対に遠慮はいらないのです。

「傷跡は注射針程度のものです」

などという、ドクターがいたら、

「注射針の傷跡ってどういうものですか」

と尋ねたらいいのです。
痛みのことも、傷跡のことも、腫れのことも、術後の経過に関しても、アフター・ケアに関しても、費用のことに関しても、すべて納得いくまで訊いたらいいのです。

特に、術後の経過に関しては、、ドクターは明解に忠者さんに伝える義務があります。
「ふくらはぎの脂肪吸引ですか。ふくらはぎの場合は、術後二、三日は痛くて歩けないかもしれませんよ」
そういうことをきちんと患者さんに伝えてあげれば、患者さんの方も、そのことを前提として行動計画がたてられますし、術後に痛みがきたときも、そのことに余計な心配をしないですみます。
そのあたりを正碓に伝えず、ぼかして、
「これであなたの脚も、浅野ゆう子みたいにチャーミングになりますよ」
などと、おいしいことばかりを並べて、手術に入ろうとするようなドクターは信用してはいけません。

患者さんとドクターとのコラボレーション

もう一つ、何でもかんでも
「ハイハイ、わかりました。ではそうしましょう」
といって患者さんの言うことに応じるドクターも信頼には値しません。

患者さんというのは、往々にして自分が気にしている場所、固なら目、鼻なら鼻のことしか考えていないものです。ですから、患者さんの希望というのは、全体のバランスなどは見ずに、部分的な形のよさだけを求めたものが多いのです。
それにそのまま応じたら、どういうこtが起こるでしょうか。
例えば、フラットな面に突然鼻だけが高い顔とか、目だけが異様に目立つ顔とか、そういったちぐはぐな顔になってしまいます。
また、例えば、

「ダンゴ鼻で、鼻先のまるいのが気になって仕方がないので、鼻先を細くして下さい」

などという方がいたとします。(実際、こういう方は多くいらっしゃいます)
こんな患者さんの場合、

「ハイハイ、それではそうしましょう」

と、そのまま希望に応じますと、結果、小鼻の目立つ顔になります。
今度はそれを患者さんが気にして、「小鼻を小さくして下さい」と言います。そこでまたまた、「ハイハイ」とそれに応じますと、今度は頬が幅広くみえる顔になってしまうのです。
これではどこまでいってもきりがありません。
的確なアドヴァイスと、それに基づく充分なカウンセリングさえ行っていれば一回ですむ手術が、「ハイハイ」のお陰で、こうして二回も三回も手術を重ねて、それでもまだ患者さんに不満が残るということになるのです。
従って、患者さんの希望がトータルバランスの上で好ましいものではなく、むしろそういった手術はしない方がいいと判断される場合には、ドクターはまず、はっきり「ノー」と言わねばなりません。

「ハイハイ」と言うドクターには二つのタイプがあります。

一つは、そういった判断が下せない、ドクターです。
もう一つは、判断を下す能力は持っていながら、「とりあえず患者の言う通りにしていれば、それが一番無難だ」とする、ドクターです。
こういったドクターは、手術が二度になろうと三度になろうと、すぺて忠者の求めに応じてすることだから、それはそれでいいのだという価値観を持っています。
美容外科のドクターとしてのセンスと技術にプライドを持っている、ドクターなら、一言うべきときにははっきり「ノー」と言います。
その上で、なぜノーなのかを患者さんに理解させ、納得させ、そこから前に述ぺた”歩み寄り”が始まるのです。
お互いの認識の上に立った一致点がはっきりしない場合、私たちは手術はしません。
美容外科の手術というのは、いわば、"ドクターと患者さんのコラボレーシヨン(合作)"でなくてはならないと思っているからです。

見事なコラボレーションを生み出すには、ドクターの独断的な押しつけがあってはならず、同時に、忠者さんの言いなりになることもあってはならないのです。

「美」を引き出すドクターのセンス

いろいろなことを申し上げましたが、美容外科において最後に物を言うのは、ドクターのセンス、美的センスです。
患者さんの中には、どこをどうしてほしいというのではなく、

「とにかくきれいにして下さい」

という方もいらっしゃいます。私たちに完全に下駄を預けるというわけです。
こういうとき、一重まぶたなら二重にし、鼻が低ければ高くし、頬が出っ張っていれば引っ込め、アゴがなければアゴを出し、エラが張っていればエラを削り……と、欠点をすべて万遍なく修正したとしたら、もはや、本人ではなくなり、別人の顔になってしまいます。
手術の結果、どんなに美しい顔が出来上がったとしても、そんな「美」は決して本人を幸せにするものではありません。
いうまでもないことですが、患者さんが美しさを求めるというのは、自分の中に求めるのです。
その心情を無視して、他人の顔を押しつけるなどというのは、まったくもって野蛮な行為としか言いようがありません。

私たちの職務というのは、いわば本来的な意味における教育者のそれと同じだと思います。
教育というのは、何かを教え与えるのではなく、一人ひとりからその人が持っているサムシング・グッドを引き出すことを目的とするものなのです。
私たちもまた、本質的には「与える」のではな〈「引き出す」のです。
「与える」というのは簡単ですが、「引き出す」というのは、大変にむづかしいことです。
そのむづかしい作業を支えるのが、センスであると言っていいでしょう。

人間は誰にでも、必ずその人だけがもっている”よさ”があります。
その”よさ”を殺してしまっては、何にもならないのです。殺すのではなく、その”よさ”を際立たせることによって、その人の本来の美を引き出すこと、それが美容外科の仕事だと思います。

やり直しのきかない脂肪吸引

それにはまず、そのよさを確実に捉える眼がなくてはなりません。
ドクターにその眼がないと、患者さんはやたらにいじくりまわされたあげく、違和感を感じる顔を無理やり押しつけられることになるのです。
「美容の手術なんか受けるんじゃなかったわ」
と患者さんが後悔するのは、そんなときです。

今まで顔のことばかり言ってきましたが、脂肪吸引というのは、実は、ある意味では顔以上にドクターのセンスにすペてがかかっている手術と言えます。
「ある意味」と言いましたのは、顔の場合、先ほどご紹介しました投書のご婦人、つまり、
ドクターが目の下の皮膚をとり過ぎてしまったため醜い顔になってしまったというあのご婦人のような特殊なケースを除きますと、だいたい修正がきくからです。
カウンセリングで希望した通りに仕上がらずに、しかも再手術に当たっては新たに料金を請求すると言われたら、もっとセンスのよいドクターのところへ行ってやり直して貰えばいいのです。
ですが、脂肪吸引の場合はそうはいきません。脂肪をとり過ぎてしまったら、もうどうしようもないのです。
「とった脂肪を注入して、また戻したら」

それは駄目なのです。それが出来るのは、「頬」ぐらいなものです。その理由は第六章で詳しく申し上げます。
お腹、お尻、太もも、ふくらはぎ、すぺてとり過ぎたらもう終わりです。
ですから、ドクターのセンスいかんで、美しくなるはずのプロポーション、が、”不格好”になってしまうのです。

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